帰国しました。年始早々日本では能登半島で地震があり、相変わらずその余震が続いています。阪神大震災に東日本大震災と経験した我々は他人事ではなく、新年のおめでた気分は吹き飛んでしまったようです。亡くなられた遺族の方々には、この場を借りてお悔やみ申し上げます。
いつ自分の身にそうした事が起きるかは誰にも分からず、先日は飛行機事故でも何人か亡くなられ、改めて命の尊さを感じる次第です。自分の命を使って一体何ができるのか、無駄に過ごす事はできません。少しでも周りの人に、希望や明かりを灯したいものです。
人生の分かれ目というのは選択によります。私は法学部を専攻しましたので法曹界を選ぶ事も可能性としてはありましたが、経済界を選び、またその経済界の中でも就職するのか起業するのか、もしくは跡を継ぐのか選択肢が分かれていきます。
日本経済において現在後継者不足というのは深刻です。特に雇用の7割は中小法人が支えているという所、中小法人の後継者問題の解決は起業家育成以上に価値があると思います。ただし「現状維持は衰退」と言うように、後継者の役割は現状維持ではありません。
私にとってその旗印となったのが海外事業でした。それも日本における後ろ盾があったから出来たのです。やはり、既存の会社を継いだ選択は正しかったと言えます。跡継ぎはリソースを生かす事が可能です。特に日本はファミリービジネスが多く、長寿企業も世界一です。
もし、若い方で何をしたらいいか考え中であれば、中小法人の跡継ぎはお勧めします。また、海外事業もどう選択するかが分かれ目です。
(イオンモールBSDの広場に人工雪を作って、子供達がそれで遊んでいる様子)
インドネシアを選択した事も間違っていませんでした。ジャカルタにはMRTが出来ただけでなく、今やLRTも便利な市民の足となってきました。今回は昨年高速鉄道が東南アジアで初めて開通したバンドン の評判も耳にし、次回は久しぶりに行きたくなりました。以前は車で4時間ほどかかっていたのが、乗り継いでも1時間で着くようになったのです。
今回は2015年にジャカルタでイオンモールが初めて出来たBSD Cityに行ってきました。我々も当時同時にモール出店を果たし、コロナ禍2020年に退店したので、それ以来久しぶりです。今でこそランドリービジネスをやってますが、当時はタオルの小売ビジネスをやっていたのです。
BSDはシナルマスと言う財閥が中心となって街づくりをしていますが、東急のBRANZ他マンションやテナントビルが集積し、発展を遂げています。次の商売を狙う環境が整っています。ジャカルタ郊外は他にもチカランエリアなどまだまだ商機に溢れています。
現在のイオンモール担当者に話を聞くと、モール文化が発展してるので競争が激しいようですが、これから日本同様アウトレットが出来てくるようです。ジャカルタに先日オープンしたそうですが、調べてみると三菱地所が、バリでも今年着工し26年完成の計画が発表されてました。「ラグジュアリーアウトレット」だそうです。
いずれにせよ、イオンモールは今年デルタマスに5店舗目をオープンします。ベトナムの方が展開のスピードは早いようですが、ジャカルタ近郊だけと考えたら、やはり郊外含めた都市として市場規模が魅力です。
セントレジスの現場で皆と新年を祝い、今年の計画もしっかり打ち合わせしました。帰国の途につきましたが、自分の命ある限り、新興国でサステイナブルなビジネスにチャレンジしていく所存です。