先週のブログでは日本に絡めのコメントを残し、インドネシアからタイに来ました。ジャカルタでは久しぶりに商売の醍醐味を味あう展開があり、活動は2~3日ほどに過ぎませんでしたが、本当に濃厚でした。やはり決断を迫られる話は、それに応えたくなります。
具体的に言うとセントレジス の状況を見たリッツカールトンが、同じスキームでやって欲しいと言うのです。しかし、ジャカルタにはリッツカールトンは2つあり、量だけ見ても同じではありません。シミュレーションが必要です。
日本の年度末の3月までに返事をと思ったのですが、向こうの強い要望に年明け早々3日には返事すると言ってしまいました。さっそく現場の状況を確認し、やる・やらないの返事の為に何が必要か考える事としてます。
これまで、こうした時にやれる・やれないでなく、今までもやる・やらないで選択してきました。しかし、今回更にやりたい・やりたくないという選択を幹部に聞いた所、非常に前向きな話でしたので答えは殆ど決まったようなものです。
(プーケットでは一日船のツアーで離島を楽しむ)
タイではバンコク経由でいきなりプーケットを観光し、これまた久しぶりに好きな海を堪能しましたが、ここまで走りっぱなしでしたので、いい休養になりました。今月も大阪・東京を何度となく往復し、そのまま海外に出てきたので体には負担がずっとかかっていたに違いありません。
ちょうど「DIE WITH ZERO」という本を読んだのですが、なかなか面白い事を言っており、お金と時間と健康は年齢と共にバランスが変わり、年取ればお金が増え続ける人が殆どで、お金で時間を買うべきだと書いてありました。また、当然人は衰え、若い時にしか出来ない事はお金を借りてでも経験すべきだと言います。
要は、お金を持って死ぬ事は出来ないし、死ぬ日を想定してある時点から資産を取り崩し、最後はゼロにするのが合理的という事です。人生は最大限楽しむものというのは共感できますし、誰もが自動運転モードで流されて生きているというのもその通りに思います。
しかし生きる目的は最後は思い出しかないという事ですが、これは少々違う気がしました。というのは、我々は世の中に貢献して何かを残す事に意義を感じます。魂とかいうレベルのものになるかどうか分かりませんが、遺志というものは残るのではないでしょうか。
仕事がやりがいあって楽しいというのもありますが、生き方は人生最大の問いだと再認識して、今年最後のブログを締めたいと思います。