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吉川潔という男

 今週は大阪で来月入社してくる幹部向かい入れ準備をする中、急死した吉川潔氏を偲ぶ会を千里阪急ホテルにて24日金曜日に開催しました。先週末に文書で連絡した所、何と15人も集まり、彼の人望が伺えます。

 心に穴が空くという表現を聞きますが、正にそういった状況で、今でも彼が生きているように錯覚します。こんなのは初めてかもしれません。八木春2代目の叔父が就任直後50歳で交通事故で亡くなった時は、さすがに驚きましたが、今回は私と同年代で身近過ぎます。

 私が20年ほど前に箕面船場で働き出して、同業のタオル屋がこの街に何社となくあり、彼の会社は正直パッとするものではありませんでした。また、仕事に対する姿勢が私と全く違うのです(笑)

 偲ぶ会でも「趣味の人」という話が多数出ていましたが、仕事外の活動が広く、私はその頃「仕事ほったらかしてゴルフなんてしてる場合か」と彼に言っていたぐらいです。最近は私が平日にゴルフもするようになったので「変わったな」と驚かれましたが、それでも私は仕事が目的の所があります。

(先日のゴルフ場では鹿が列をなして横断していました)

 今回は40代後半〜60代前半の割と近い世代のメンバーが集まり、会長さん方上の世代は流石に遠慮されたようです。実は「大阪タオル同盟会」という団体があり、それとは別に我々世代で「盟友会」というのを結成して活動した事があります。それ以来同じ釜の飯を食う存在として、程よく切磋琢磨していました。

 私は組合活動も目的意識が大事と思い、脱退も何度か考えたのですが、その後京都工芸元社長の寺田さんと一緒に「タオルの日」を推進する活動をこの世代で続けていました。結局昨年タオル業から撤退し、私は組合からも抜ける事となったのですが、やっぱり業界の仲間は宝です。

 一社では何も出来ない中小法人が、一緒に世の中を変えていく事は意義ある事と思います。タオル組合からは脱退しましたが、今でも大阪船場繊維卸商団地協同組合に属し、彼らと箕面船場の街づくりをしています。

 いよいよ来年駅が開通するという、正にこれからだったのに、吉川潔という男を失った事は本当に残念でなりません。特に私は年配の会長さん方にはタテついてばかりでしたが、彼は上の方々からも慕われて、何かと取りまとめてくれる存在でした。

 そんな彼が最後に会った時だったか、「この年齢になって今頃ようやく分かった」と言ってきた事があって。私は癌に冒されていると露知らず、「今までが準備期間で、これからやろ」と答えた記憶が残っています。

 その中身については心に留めておきますが、これからも彼と共に生きていく気がしてなりません。

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